INTERVIEW
VOICE FROM vol.1
―片山健也 相互扶助の精神を携えて―
北海道ニセコ町長
片山健也
片山健也
ウェルネストホームが目指す、未来の子どもたちのために向けた、よりよい住環境と社会づくり。そこで私たちと理念を同じく丁寧な時間と暮らしを育むヒト・モノ・コトから、持続可能な社会にとっての共通項を見つけていきます。
初回となる今回お話を伺ったのは、北海道ニセコ町に新しい街区(まち)をつくる官民連携プロジェクト「ニセコミライ」のキーパーソンである、ニセコ町長の片山健也さん。ウェルネストホームは本プロジェクトにおいて、街区設計・コンセプトの専門的な知見の共有や、独自の技術を生かした高性能集合住宅の建築などで関わっています。
人口わずか5000人余りの小さな町が提案する、持続可能なこれからの暮らしの在り方とはーー。懐かしさと先進性が入り混じるニセコ町が推し進める“未来のまちづくり”について語っていただきました。
家や庭のように、住まう町も手入れして
古き良き佇まいを残すニセコ駅。ホームに降り立つと、町の南北を結ぶ黄色い「ニセコ大橋」が出迎えてくれた。
黄色の橋は珍しいのでは?そんな問いに対して片山町長は「雪解けとともに見える橋が心弾む色であれば町民の心も解きほぐれるだろう。そんな想いから、春の訪れを知らせる福寿草の色を橋で表現しているんです」と教えてくれた。ほんの些細なエピソードからも、町民に寄り添い続けてきた町なのだと窺い知ることができるが、ここに至るには片山町長の奮闘もあったという。
「家庭の事情もあり、務めていた会社を辞めて東京からニセコ町に戻ってきたのが25歳のときです。外から戻ってきてニセコ町役場に採用されたからこそ、町の遅れを感じ最初は衝撃を受けました」と口火を切った片山町長。
「そこからニセコのあるべき姿を考え続け、時代に合った改革を推し進めていました。当時は『急に戻ってきたのに何を』と周囲の反発も大きくて…。けれども1994年に逢坂さんという若い町長が誕生して住民運動が盛んになったことで、加速度的に自治体改革が進みました。たとえ1円であっても説明できるお金の使い方をする。町の保有する情報は、メモ紙ひとつでも公開・共有する。このように“自分たちで考え自分たちで決める自治体”になるため、これまでの習慣を見直したのがニセコ町です」。
小さな町の大きな改革。これら
ニセコ町の取り組みは当時大きな話題となり「新しい民主社会の到来か…』と、行政学の先生をはじめとした様々な人たちが力を貸してくれるように。
「未来の町の在り方を、私たちのまちづくりの可能性に賭けてくれたのだと思います。その結果として2001年に誕生したものが、日本で初めての『まちづくり基本条例(自治基本条例)』です」。
この条例の大きな柱となるのは「情報共有」と「住民参加」。ニセコ町のまちづくりを進めるうえでの主役は町民であり、暮らす人々の共通ル-ルになっている。
「自分たちの手で町をつくるというと難しく聞こえますが、昔はみんなが使う場所だからと、地域の人たちで年に3回は道路の草刈りをしていました。冬になってドカ雪が降れば、近所の高齢者の玄関の雪かきを手伝ったり。けれども、それら全てを役所がやるようになり、住民同士が助け合っていた日本らしい相互扶助社会はどんどん崩れていきました。そこで、どうやったら相互扶助社会に戻していけるだろうか…と考えたときに行き着いたものが住宅政策。ニセコミライの発端です」。
公営住宅を維持するために、税金で補填をし続ける。
家のローンを返済するために、人生のエネルギーを使い続ける。
こうした“貧しい循環”が生まれている日本の住まいに対して、発想の転換期だと考えた片山町長は、SDGsの発想をベースとした新しい住宅政策を思案。
「持続可能な社会を目指すための勉強会にも参加していたのですが、そこで出逢った人たちが持つノウハウをニセコ町にも取り入れたいと考えました」と、
ここから新しい街区づくりであるニセコミライがはじまった。
官民連携で進めるプロジェクト。そこで片山町長が仲間として迎えたのが、ニセコ町役場新庁舎建設の際にアドバイザーとして参画したウェルネストホームの早田をはじめとした面々。同じ想いを抱く仲間とともに青写真を描いてから、早5年を迎えようとしている。
変わることと、変えることの隔たりに気づく
まちづくりの視察のためにニセコ町を訪れる人は絶えない。なぜなら「情報共有」と「住民参加」という、これまでの日本の社会とは一線を画したまちづくりの実例があるためだ。
「ニセコミライのプロジェクトの立ち上がりの際にも、町民を対象にしたアンケート調査や、住民参加型の説明会を開催してきました。説明会は40回以上にものぼります。私は対話は民主社会をつくる一環で、話し合いとは住んでいる人たちの共感を得るための業務だと思っています。環境や景観に関する条例づくりの際も『ここは、そうしたほうがいい』『あそこは、そのほうがいいよね』と、住民の皆さんと話し合いを重ねてきました」。
まちづくりにおいてニセコ町が町民との対話に重きを置く背景には、バブル期のリゾートブームがあるという。急速な開発を進めた結果、壊すに壊せない廃墟となった建物が点在する地域を見てきたからこそ「ニセコ町は同じ轍は踏まない」と心に決めたそう。
「バブル終焉後のニセコ町も商店が閉鎖し、宿泊客も半数以下にまで落ち込みました。そのときに危機感を持った住民全員で『ニセコ町をどういう町にしていきたいのか?』と、2年半近く徹底的に議論してきたんです」。
そこで出た結論が、この町の景観や環境をひっくるめたニセコ町らしい空気感を、そのまま次世代の子どもたちに引き継ごうという覚悟。今でこそ『水環境の町』を環境基本計画のテーマに掲げているが、かつては日本一の水質を誇る尻別川でさえ目も当てられない状況だったと片山町長は語る。
「町民が川の清掃をしたりと良好な自然に戻す活動をやってきたおかげで、今のこの景観があるといっても過言ではない。水を守ることは森を守ることであり、ひいては命を守ること。だからこそ私たちが求める『持続する町づくり』の想いと相反する開発は、ニセコ町ではご遠慮してもらっています」。そう話す片山町長は窓の外に目を向けた。「ニセコ町のいいところは、昔ながらのこの景観。幼いころから全く変わっていないんです」。
「まちづくりとは、正解のないものの解をみんなで見つけてつくりあげる作業」と語る片山町長だが、ニセコ町の町民が見つけたものは、景観を守り続けること。そんな町民全員で持続可能な町を目指したことがきっかけとなり、2018年には「SDGs未来都市」にも選ばれることとなった。
行政や企業が主体となって開発を進めた結果、そこに暮らす人々の想いが置いてきぼりになることは、ニセコ町が考えるまちづくりではない。「この町は変えてはいけないんですよ。空の広さに山に川に自由な風土。そして有島武郎が唱えた相互扶助の精神があってのニセコ町なんです」。
*有島武郎の相互扶助の精神(1922(大正11)年7月)
「生産の大本となる自然物即ち空気、水、土地の如き類のものは、人間全體で使ふべきもので、或はその使用の結果が人間全體の役に立つやう仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によつて私有さるべきものではありません」。この言葉とともに羊蹄山の麓にあった有島農場を小作人に無償解放した有島武郎の取り組みは、先駆的な事例として全国に取り上げられました。
小さな町が、これまでの在り方を覆す
2030年には新幹線が開通予定であり、ニセコインター(元町)まで高速道路の延伸も決定。札幌からの日帰りが可能になるなど盛り上がりを見せるニセコ町界隈だが「地域内のインフラには大きな課題が残っている」と、片山町長は少し眉を寄せた。バス便が少なくハイヤーの台数が限られたニセコ町では、観光客が「あのレストランに行きたい」と思っても、残念ながら町の中を自由に移動する術がないのだ。
そこでニセコ町では現在、カーシェアの実証実験に乗り出した。地域内交通の脆弱性を解消する第一歩であり「環境にやさしい電気自動車を社会全体でシェアをするというのも、相互扶助でありSDGsですよね」と片山町長。新たに交通インフラをつくることなく脆弱性を解決するといった発想は、町の財政にも環境にもやさしい。
このカーシェアの発想は太陽光発電でエネルギーを賄うニセコミライの街区にも取り入れられるようで、ゆくゆくは都市OS(行政・物流・交通などの生活インフラを動かす基盤)の実証実験も行うそう。地方で暮らすには1人1台の車が必須となるが、それも可処分所得が減る要因のひとつ。2台目以降にカーシェアを活用すれば、持続可能な暮らしや環境改善にもつながるのではと考えている。
ニセコ町という持続可能な町の中に、さらに先進的なSDGs街区をつくるニセコミライプロジェクト。「交通インフラに限らずSDGsの視点で住宅政策を解決しようと町づくりを行うと、そこから見えてくるものがいっぱいあると思うんです。それを洗い出しつつ課題を解決しながら町をつくる作業は魅力的でおもしろい」と話す片山町長は、プロジェクトの現場が動きやすくなればと、制度設計や仕組みが変わるよう国に働きかけている最中。
とはいえ、ニセコミライの現状はいいことばかりではない。ウッドショックをはじめとした資材の高騰。さらには、千歳市で行われている大規模工事や新幹線の延伸事業などに人手が回ってしまったことで、プロジェクトは思うようには進んでいないそう。大きな資本がない中での街区づくりは、一筋縄ではいかないのだと思い知らされる。
けれども片山町長は「このプロジェクトって、素敵じゃないですか」と無邪気に一蹴した。
経済の低迷、生活格差、地球環境の保護…。
これらは日本が抱える3つの課題だが「これでは社会がダメになると思っている熱い人たちが、ニセコ町に集まっている。そしていま、課題解決に向けた具体的なモデルをニセコ町でつくり上げているんですよ。とてつもなく大きな課題ばかりですが、ニセコ町という小さな町で挑戦していきたい。そんな大きな想いを私はいつも胸に抱いています」と締め括った。
住宅政策に端を発したニセコミライは、行政と町民が同じ目線で意見を交わす環境があるからこそ成せるプロジェクト。相互扶助の精神が流れるニセコ町。そこに宿るのは、まちづくりの在り方そのものかもしれない。
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