Wellnest Home

INTERVIEW

VOICE FROM vol.3
―村上敦 在るべき場所に、在るべきものを―

ウェルネストホームが目指す、未来の子どもたちのために向けた、よりよい住環境と社会づくり。そこで私たちと理念を同じく丁寧な時間と暮らしを育むヒト・モノ・コトから、持続可能な社会にとっての共通項を見つけていきます。
今回お話を伺ったのは、環境先進都市として知られるドイツ・フライブルク市と、北海道虻田郡ニセコ町で二拠点生活をおくる環境ジャーナリストの村上敦さん。ウェルネストホームの早田とともに、持続可能なまちづくりに挑戦する企業「株式会社ニセコまち」の取締役を務めています。ランドスケープという広い視点から家づくりを考えるドイツの考え方や、環境ジャーナリストとしての視点から見たランドスケープの在り方について教えていただきました。

「ニセコ町らしさ」を求め点在する家々

「26歳で渡欧したので、ちょうど人生の半分くらいをドイツで過ごしているのかな。とはいえ、コロナ禍以降はニセコ町との二拠点生活で、ドイツには年の1/4程度しか帰っていないんですけどね」。
これまで村上さんの生活の拠点はドイツだったが、コロナ禍によって気軽に国々の往来ができなくなり、ここ数年はニセコ町での暮らしに重きを置いているとか。そんなニセコ町での暮らしぶりを現すように、地図に頼ることなく車を走らせる村上さんは、古くから住む町民のようである。
遠くまで広がる畑の合間に、ぽつりぽつりと点在する民家。そして、ときおり現れる別荘らしき建物。なぜ民家は、あちらこちらに点在しているのだろう?なぜ、これほどまでに入り組んだ場所にひっそりと建っているのだろう?
車内から見える景色に疑問を持っていると「ニセコ町では自宅から学校まで5km、10kmというのは普通の感覚で、子どもたちの多くはスクールバスを利用しているんです。ニセコ町の中でも市街地に住んでいるのは2300人くらいで、あとの2700人くらいは郊外にパラパラと点在しているのですが、その原因のひとつが、市街地での住宅の供給量が圧倒的に追いついていないことなんです。慢性的に住宅が不足していて、市街地の土地も値上がりしてきているので、安価に建てられるところや羊蹄山が見える場所を中心に住宅建設が進んでスプロール化(市街地に職住が集積せず、周縁の広範なエリアに無秩序に拡大すること)していったんですよね」と、ニセコ町だけではなく、日本全国どこにでもある住宅立地、都市計画の課題が口を衝いた。
住宅が点在していると除雪作業の距離を延伸しなくてはならず、スクールバスの運営費用は学校の維持管理費用よりも嵩んでいるという。
限界集落が叫ばれる地方が多い中、人口が微増し続けているニセコ町はまずまずといえるかもしれない。けれども「長年暮らしてきた町民は人口の大体5割くらい…」と、現在ニセコ町で暮らす半数近くは町に心惹かれた移住者の面々。ニセコ町に移住するのであれば羊蹄山が見える場所で暮らしたいと考える移住者が増えたことで、眺望のいい場所に一軒家が点在する街並みが自ずとできあがったという。
 
「移住してきたご家族が若いまま住み続けられればいいんですが、ここで育った多くの子どもたちは、高校生になったら倶知安(くっちゃん)や小樽に出て行ってしまうんです。家に子どもがいなくなり、親も高齢になる。そうなると除雪などの問題も出てくるので、いずれ別荘目的の人たちに住居を転売するんですよね。今はそれでもいいかもしれませんが、このサイクルが永続的に続くかといえば…」と、持続可能なまちづくりに取り組むフライブルク市で長年暮らしてきた村上さんの言葉には重みがあった。

個々の想いが街並みをかたちづくる

「自分の所有権がある土地に対して、日本は世界から見ても珍しいほどに何でもありなんですよ。それぞれの所有者の考えだけで進められるので、個人の思い入れが強いんです」。
そう村上さんが話すように、利便性が良い、日当たりが良い、景観が良い…と、住まいを構えるとなったときに皆が想いを巡らせるのは個人の願望。
土地が決まれば納得のいく家を建て、庭や周囲を好みの草花で彩っていく。ときには遠い故郷から思い出の樹木を持ってくることもあるが、そこには個人の想いは詰まっていても、風土との調和は見当たらないのである。
時折“おもちゃ箱をひっくり返したよう”と海外ツーリストに表現される日本の繁華街は、そんな特殊な状況が生んだ“個の集大成”ともいえるが、根本的な考え方は都市でも地方でも大きくは変わらない。それゆえ、人口1万人以下のために都市計画法の要件を満たさず都市計画が引けないニセコ町でも、「個」の想いがまちづくりにダイレクトに反映されてきたという。
「ドイツと日本のまちづくりで大きく違うのは、事前の都市計画が細かに決まっているかどうかです。何かを開発しようと思ったら、ドイツの場合は開発段階で土地とランドスケープと建物の様相が、きちんと行政・議会によって決められるんです。だから購入した人たちは自分の土地だからといって、好き勝手にできるわけじゃない。例えば、『在来種、広葉樹しか植えてはいけない』などと規定が記されている場合は、例え好きな樹種があったとしても、ドイツでは庭や自宅周りに在来種の広葉樹を植えるしかないのです」。
では、良いランドスケープとはどういったものだろう?
環境ジャーナリストである村上さんに問いかけてみると、そこには生態系のピラミッドが関係していると教えてくれた。
「生態系の何をもって良しとするかという話なんです。生物の中には人間が好むものと、わがままだけれども好まないから近くにいてほしくないものがいるじゃないですか。例えば蝶々はいてほしいけど害虫は…みたいな。これは虫だけでなく植物も同じで、多くの日本人は桜が好きだからと桜を植えるんですよ。すると毛虫が大量に発生し、そこに住んでいる人たちが好まない自然が襲いかかってくるんです」。
生物や植物に想いを寄せながら村上さんの話に耳を傾けていると、村上さんがニセコ町で携わる持続可能なまちづくりプロジェクト「ニセコミライ」の街区に到着した。
「食物連鎖のピラミッドがうまく機能していて毛虫を捕食する鳥の数が充分にいたら、毛虫が異常発生することはないはずです。しかも、鳥の声で目覚めることもできる。人間にとって心地良く好ましい自然を近くに呼び寄せるためには、そのときに欲しいものだけを持ってきてもうまくいかないんです」と話す村上さん。
あたり一面に芝が広がるこの地であれば、一体どんなランドスケープが似つかわしいのだろうかーー。

生態系の土台から考えるランドスケープ

持続可能なまちづくりに挑戦する村上さんが考える良いランドスケープ。その鍵は、生態系ピラミッドを土台から考えることにあると教えてくれた。
「ランドスケープのやり方次第では、生態系を呼び寄せることは不可能ではありません。けれども、皆が欲しい植物だけを持ってきてもうまくいかないんですよね。だから土台から考えていかないといけないんです」と、土台という言葉を強調した。
村上さんがここでいう“土台” とは、目には見えない細菌やバクテリアのこと。見えるものだけをどうこうするだけでは、環境に配慮したとはいえないのである。
「例えば欧州からの外来種であるポプラの木をここで育てるとするじゃないですか。そうすると、根っこに付着している細菌の数自体が在来種とはまったく違うんですよね。もちろん欧州の樹木であっても、北海道の気象や地質の条件とぴったり合うものもあるので、土地によってどの植栽がいいとは一概にいえないのですが、進化の中で生き残ってきた在来種に頼れば間違いが少ないです」。
フライブルク市をはじめとした環境都市で「在来種しか植えてはいけない」といった都市計画上の規定があるのは、このような合理性ゆえのこと。村上さんが話すように、土壌の有機物を分解する微生物から検討すれば、たとえ外来種を持ち込んだとしても生態系ピラミッドはうまく機能するはずである。
ニセコ町で長らく暮らす村上さんは、この土地の歴史にも造詣が深く「昔のニセコ町では洋梨や林檎の栽培が盛んだったり、各家庭で養鶏なんかも普通にやっていたんですよ」と教えてくれた。
そのため、もし芝が広がるこの土地に洋梨や林檎の木を植えたとしても、それは立ち消えてしまった土地の歴史が返り咲いただけであり、いい循環が生まれるはず。生態系のバランスを崩すことなくランドスケープを考えるということは、土地の歴史を知ることも含まれるのではないだろうか。
ドイツと日本で二拠点生活をおくる村上さんから見ると、家やまちに対する両国の違いはどこにあるのだろう?
そんな疑問に対して村上さんは「エリア全体のランドスケープをどうするか決めることは、美しい景観の維持や資産価値の向上に直結するんです。地域の中に一定のルールが存在することで、理路整然とした街並みが次世代へとつながっていくことはバリューアップになるはずなんですよね。けれども日本の場合は協定が厳しく、自由度の低い土地は価格が安くマイナスイメージを持たれやすい。そういう考え方そのものが、日本とドイツでは違うんだと思いますね」と、環境ジャーナリストとしての視点をのぞかせた。
文化論では“個人主義的な欧米人と比べると、日本人は集団主義的”と久しく言われてきたものの、こと家づくりやまちづくりに関しては真逆なのかもしれない。
生態系ピラミッドに配慮したランドスケープをデザインするとなれば、一年生、多年生、低木林…と、植物群集が極相(植物群落が周辺環境に応じて変化していき、その地域の環境に適合すること)へと変化する「植生の遷移」を把握しつつ、その土地の植生に詳しい必要があるというが「それを自然とやっていたのが里山だ」という村上さんの言葉を聞いて思わず頷いた。
里山では農地と林地と人の生活がうまく混じり合い多様性を生み出していたが、もしかすると村上さんたちが目指している持続可能なまちづくりやランドスケープは、新時代の里山なのかもしれない。
PROFILE
環境ジャーナリスト
村上敦

1971年、岐阜県高山市生まれ。土木工学部卒業の後、ゼネコン勤務を経て、環境問題に興味を持つようになりドイツ・フライブルクへと留学。フライブルク地方役場の建設局に勤務後、2002年から独立。ジャーナリスト、環境コンサルタントとして活動し、ドイツの環境政策・都市政策・エネルギー政策などを日本に紹介する。

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