DIALOGUE
TALK WITH vol.4
―芝山さゆり×阿部雅司 出会いが紡ぐ未来―
人が暮らす最小単位の社会であり、家族の“巣”でもある住まい。TALK WITHでは、そんな心地よい住まいの先に広がる、よりよい暮らしに向かって走り続けるウェルネストホームの銘々がゲストを対談相手に迎え、最良の未来へと繋ぐヒントを見つけていきます。
第4回目となるTALK WITHは、ウェルネストホーム取締役会長 芝山さゆりがホストとなりお届けします。ゲストは、1994年リレハンメルオリンピック・ノルディック複合団体金メダリストで、札幌オリンピックミュージアム名誉館長の阿部雅司さんです。大きな挫折を乗り越え、金メダリストになった阿部さんの言葉は、講演活動などを通して多くの人のイキイキと生きる活力となっています。
ふたりの人生に共通するのは、出会いを大切にしていること。ひとつひとつの出会いが一期一会であるという考え。コミュニケーションの基盤である対話や傾聴といった姿勢で相手と真剣に向き合うからこそ、人の輪が広がり、新たな景色を見るきっかけとなってきました。人間関係が希薄になりつつある現代社会において、人との繋がり方、よりよい生き方とは。札幌オリンピックミュージアムを訪れた芝山と、迎える阿部さん。互いに引き寄せられたふたりが、飾らない言葉で語り合います。
どんな暗闇にいても、光は差し込む
芝山:
阿部さんには私が2017年に社長就任した際に基調講演に来てもらって、その後は一緒に「夢を叶えるコラボセミナー」で全国を回りました。私が会長職になったタイミングの今年の年次総会にも阿部さんが来てくれて講演してくれました。私のターニングポイントにはいつも阿部さんがいます。
阿部:
私は今、株式会社札幌振興公社に勤めながら、スポーツでみんなを笑顔にするような活動をしています。その中で木材関係の講演会があって、私が話し終わって懇親会の席に着いた瞬間、真っ先に来たのがさゆりさんでしたよね。インパクトがすごかった(笑)
芝山:
阿部さんの話がとても心に響き、すぐにでもアポイントをとらなければと思ったんです。「つらい時こそ笑顔で」という話を社員にも是非聞かせなきゃと。
阿部:
私は現役時代、オリンピックに3回出場することができました。 その中でも2回目のオリンピックはチームのキャプテンでありながら、団体戦でメンバーを外されてしまったんです。自分がいない状況で後輩たちが金メダルを取り、本来は喜ばなくてはいけない場面でしたが、正直本当につらい思いをしました。そんな自分を家族や仲間が支えてくれたことで目が覚めました。恩返しをしなきゃいけない、負けたままではダメだ!とその後も競技を続け、そして最後の3回目のオリンピックで金メダルを取ることができたんです。
補欠になった時に、感情を表にポンと出しちゃえば、自分の気はラクだったと思うんです。でも、 選ばれた後輩たちのことを考えたら、ふてくされた態度を見せちゃいけないなと思って、必死に抑え込んだ。 それがチームメイトに伝わっていたんだと思います。次のオリンピックで表彰台に上がった時に後輩たちが肩車をしてくれたのはうれしかったですね。
芝山:
「競技には出られないけど、サポートすることで仲間と一緒に戦える」と短時間でリセットして、気持ちを切り替えられたのはすごい忍耐力ですよね。
阿部:
本当に紙一重だったと思います。ふてくされるか、ちゃんと裏方に回れるか。自分でもよく耐えたなって思いますね。補欠を乗り越えられたからこそ、どんなにつらい時も、自分のあり方次第で道を切り開いていけると気づくことができました。これは私の財産です。
芝山:
みんなそれぞれ悩みもあるし、生きていればつらいこともいっぱいあると思うんです。阿部さんの話を聴いて心が動くのは、成功の裏にある失敗や苦しみ、努力し続けることや感謝することの大切さなどが込められたサクセスストーリーだからです。自分の境遇に置き換えて自分事として聴けるからこそ、みんな阿部さんの話を聴き終えた頃には笑顔になって頑張ろうという気持ちになるんだと思います。
阿部:
そこまで褒められると照れますね(笑)。
メダルを取った時のオリンピックの副団長が、所属している会社の社長だったんです。社長に褒めてもらおうとしてメダルを持っていったら、一言目が「お前いいか、金メダルを取ったらもう廊下の真ん中を歩くなよ」と。現地ではピンと来なかったのですが、日本に帰ってきたら、行く先々でちやほやされるんですよ。誰もがおめでとうしか言わない中、社長は傲慢にならないように釘を刺してくれた。今でもしっかりその言葉が残っています。
芝山:
そのシーンを思い浮かべながら聴いていますが、社長の真の優しさと、阿部さんの謙虚さに心を打たれます。やっぱり真心がこもっている言葉って、 言霊(ことだま)ですよね。
成長の種は、自己に対するプラスのイメージ
阿部:
振り返ると、人との出会いが私にとってはとても大きかったですね。さゆりさんはどうですか。
芝山:
阿部さんのその社長さんの存在にあたる大切な人が私にもいます。それは、幼稚園の先生の資格を取るための教育実習で訪れた幼稚園の園長先生。とても厳しくとても怖い先生でした。「何もできないお嬢さんはいらない。“じりつ”した女性にしか興味がない」と言う先生。この“じりつ”は自立と自律、両方の意味を持ちます。自分を律し、他に頼らずに自立する。園長先生は旦那さんが経営していた幼稚園を借金と一緒に引き継ぎ、4人のお子さんを育てながら完済した、まさに“じりつ”した女性でした。私はそれまで何不自由ない環境で育ててもらってプライドも高く、人生を楽観視していましたが、この先生に出会い心が入れ替わりました。かっこいい!こんな女性になりたい!周りの実習生が怖気づく中、何度注意されても怒られても食らい付いていきました。滅多に褒めることのない先生が「あんた、若い頃の私に似てる」とこぼした言葉がどんなにうれしかったか。言霊として私の記憶に強烈に残っています。私の生涯のメンターです。
阿部:
自分1人じゃここまで来るのは絶対無理でしたよね。私もいろいろな人に助けられました。量子力学的に人間の波長みたいなものを証明できるという本を出した人がいて、読んでみたら自分がやってきたことで繋がることが結構あったんです。知らないうちにプラスの波長でエネルギーを出していたのかなと思いました。オリンピックの時もそうですね。さゆりさんもプラスの波長を出しているから、同じような波長の人が寄ってくる。だから私もさゆりさんに引き寄せられたのかな。
芝山:
巻き込んでしまったかもしれません(笑)
阿部さんは現役引退後に全日本のコーチをされていましたが、選手と接する時に大切にしてきたことはありますか。
阿部:
自分自身も選手を長年やって、成績がすごく伸びた時というのは、自分で社長に直談判して、海外に1人で行って 1人でやり出した時なんですよね。それまでは指導者に教えられたことをそのままやっていただけで、結果もなかなか出ませんでした。指導者になってからあらためて感じたのは、教えている選手が伸びるのは、 やっぱり自分から動き出した時。やらされている段階では伸びにくい。自発的になった時に結果が出始めるということ。なので、私は教え込むというより選手主導でさせてみて、失敗したらアドバイスする。 最初から答えを言わないようにしていました。
芝山:
それで言うと、私には反省があるんです。社長の時は社員に対して3ヶ月ごとに面談をしていました。そこでメンタルをリセットしたり、アドバイスをしたりしていましたが、性格上つい出過ぎてしまって、質問される前に口出しをしてしまうことがありました。会長になった今、現場から少し離れて見た時にそれが間違いであったと気付かされました。私が直接動き過ぎてしまうことで、社員の行動を逆に狭めてしまっていたのではないか。時には前に立つことも必要ですが、後ろから援護射撃する方が社員の自主性を育てられたのではないかと。今ではそのことを強く意識しています。それと、私は人を育てる時は、とにかく褒めるようにしています。相手のメンタルのバランスを見ながら、2つ褒めて1つ指導したり、1つ褒めて1つ指導したりしています。
阿部:
自分も似たようなことがあって。大半の日本のコーチはジャンプを見て、失敗したところを指導するケースが多いんです。でも海外のコーチに見てもらうと、失敗ジャンプなのにちょっとだけでもよかったところを先に褒めるんですよ。その後に、ここを失敗したからダメだったんだと言う。 指導の仕方が全然違うんですよね。
海外だといくら失敗してもいいことを最初に言うから、もう1回がんばってみようってなる。日本では失敗したらどうしようとマイナスのことを考えがち。日本と海外の指導方法が違うんだなというのをすごく感じて、自分は選手たちの持っている才能を伸ばしていけるよう頭ごなしに悪いところを言わないようにしています。
芝山:
本人がやる気にならなかったら意味がないですもんね。研修の中でいつも言うのは、「一過性より自燃性が重要」ということ。一過性とは瞬間風速でその時だけがんばることで、継続性がありません。一方、自燃性とは自ら燃えることができる人を言います。指示されなくても、自ら考え行動してくれる人。こういうタイプはコツコツ継続してやってくれます。どちらが会社にとっていいかは一目瞭然です。
では、どう自燃性のタイプにしていくか。まずはその子がやりたいと思っていることを確認して、私はその子の得意とするものを伝える。そして一緒にゴールを決めます。次に私は、そのゴールへ到達するためにクリアすべき課題や改善点を伝えます。すると、その子は自分のやるべきことのイメージを持つことができるため、ゴールから逆算して目標を立てることができるようになります。人はヤル気スイッチに着火すれば発動しやすくなるものです。ちょっとしたコーチングテクニックで人は変えられると思っています。
視点を変えると、世界が新たな色を帯びる
芝山:
いま気候変動が顕著になってきて、電気代も高騰してきている中、我々は何をすべきか。未来のために何ができるのか。出した答えが極力エネルギーを使わない社会をつくりたいということでした。100年長持ちしてエアコン1、2台で真冬も真夏も快適に暮らせる気密断熱性というのはスタンダードにしているし、太陽光発電と蓄電池、自動制御システムを用いて電気をほとんど買わずにつくった電気で賄うことも可能です。そして、数年前からエネルギー効率の良い集合住宅にも力を入れていて、私が会長職になったと同時に、創業者とグループ会社ウェルネスト R&Dを立ち上げたんですね。まちづくりはもちろん、省エネを考えたリゾート、例えばホテルやヴィラなどの非住宅をこれからつくっていきます。病院や幼稚園、保育園などもこれから手がけたいですね。
阿部:
すごいですね。私は2030年の冬季オリンピック・パラリンピックの開催が札幌で決まったら、選手村はウェルネストホームでつくりたいというのが夢でした。
芝山:
2030年大会の招致断念は残念ですが、そう言ってもらえることが本当に励みになります。以前もよくアスリートにとっての睡眠の質について話されていましたね。
阿部:
私は職業柄、国内外のいろいろな所を回ってきているのですが、さゆりさんとのセミナーの時にウェルネストホームのモデルハウスに泊まって、快適さを実際に体感したので。選手村がウェルネストホーム仕様だったら、選手は間違いなく試合に集中できると思いました。
芝山:
アスリートってメンタルも体の調整も大事ですよね。プロのアスリートがいいと思ってくれるのは、つくっている我々にとってすごく誇りなんですよね。
阿部:
私はスポーツをやってきて、いろいろな経験をして、 そしていろいろな人との繋がりができて、本当に幸せだと思っています。1人でも多くの人に喜んでもらえるように、今の仕事をしっかり 続けていきたいと思っています。
芝山:
阿部さんは札幌オリンピックミュージアムの名誉館長を務めていますが、そのほかの活動についても教えていただけますか。
阿部:
2021年から北海道eスポーツ協会の会長を務めています。以前は「eスポーツは、スポーツではなくゲーム」と思っていたのですが、医療現場で積極的に取り入れられるなどさまざまな可能性を秘めていることを知って、会長を引き受けました。
また、スペシャルオリンピックス日本・北海道の理事長もしています。スペシャルオリンピックスは、知的障がいのある人たちに、日常的なトレーニングや競技会を提供し、社会参加を応援する国際的なスポーツ組織です。知的障がいの人も本当に一生懸命にスポーツに取り組んでくれて、私がスポーツをやり出した時と一緒なんですよね。スポーツの原点を思い出させてくれました。
芝山:
私は小学校教員になったばかりの初期研修で、俳優の宮城まり子さんが創設した「ねむの木学園」を訪れたことがあります。障がいを持つ子たちの学校なのですが、その子たちが描く絵は生命力に満ちていました。もともと一色で書いていた絵も、 ねむの木学園に入ったら、パステルカラーになったんです。何で変わったのかを聞いたんですよ。そうしたら宮城さんが「障がいのある子ってね、本人は障がいがあるって分かっていない。でも、周りの環境が障がい者にしている」と。親御さんが悩みながらも孤立した環境で、その様子を見た子どももまた委縮してしまうと。それで宮城さんは「私がこの子たちの明るい未来をつくってあげたい」と思ったそうです。 宮城さんの考え方を聞いてとても感動し、障がいのある子を近くに感じられるようになりました。 考え方ひとつですよね。
阿部:
障がいのある子は素直でまっすぐなので、接していると知らないうちに自分も笑顔になって、エネルギーをもらっていますね。最初はスポーツを教えていると思っていたのですが、実際は逆で、私がパワーをもらっています。
芝山:
宮城さんいわく、障がいを持っている子の世界って、本来すごくキラキラしているようなんです。なのに、我々が勝手な既成概念で見てしまうことで、その子たちは心を閉ざしてしまう。障がい者だからこうだという決めつけは絶対にしてはいけませんね。
阿部:
スペシャルオリンピックスといっても日本では知らない人が多いんですよね。知的障がいの人たちさえも知らないことが多いので、もっと発信して、1人でも多くの人 に知ってもらい、そして参加してもらいたいです。それが理事長としての仕事だと思っています。
4年に1回全国大会をやるのですが、今年の冬に雪上競技を名寄市で、氷上競技は私と一緒に金メダルを取った荻原健司市長がいる長野市でやって、大成功したんですよね。可能であれば世界大会を日本で、できれば北海道で開催したいな。
芝山:
今日は阿部さんが多方面で活躍されているのを知って、あらためて刺激をもらいました。世の中の先行きが不透明な時だからこそ、元気でいたいです。「つらい時こそ笑顔で」と教えてくれたのが阿部さんですから。
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