VISION
思いやりが連鎖するまちへ
―構造的なシェアのあるまちづくり―
株式会社WELLNEST HOME
代表取締役創業者 早田宏徳
代表取締役創業者 早田宏徳
中世からの風情あるレンガ造りの街を歩く最中、目の前を子どもが駆けていきました。危険がないか周囲を見渡せば、道路に車はなく、路面電車が遠くでゆったりと揺れているのみ。安心して子どもの背中を見送った先では、手入れの行き届いた街路樹が空に背を延ばしていました。
ウェルネストホームの原点はドイツ、フライブルク市ヴォーバン地区にあります。創業者の早田宏徳がそこで目に焼き付けた光景は、北海道ニセコ町の環境未来都市「ニセコミライ」を推進するうえでの道標となりました。
今回は「シェア」をキーワードに、理想のまちづくりと、ニセコ町での取り組みの現在地を語ります。
ニセコのおばあちゃんのトマト
ちょうど今日、ニセコのスタッフから連絡をもらったんですけどね。
昨日からずっと、地元のおばあちゃんからもらったトマトを食べているそうです。新鮮で、ジューシーで、おいしいやつ。いっしょにシェアしている農園を手伝ったお礼らしく、おいしいトマトをたくさんいただいちゃったって喜んでいました。
その前に枝豆の収穫を手伝ったときには、みんなで塩入れをして、冷凍して持ち帰ったみたいです。枝豆なんていくらでも食べられますし、ありがたいですよね。
ズッキーニの収穫を手伝った日には、作業後にみんなでBBQ大会をしたこともありました。自分たちで収穫したズッキーニを焼いて食べるなんて格別の味。焼き肉をしたり、ビールを飲んだり、至ってふつうのBBQなのに、地域の方々が家族連れで集まり、大いに盛り上がりました。
こういう、心のゆとりがある関係性ってなんだかすてきじゃないですか。
そのスタッフが携わっているのが「ニセコミライ」というプロジェクトです。北海道ニセコ町を舞台に、官民連携で理想のまちづくりに取り組んでいます。
ニセコ町は日本どころか世界に知られたスキーリゾート。日本人、外国人を問わず子育て世代を中心とした移住者が増加し、その人口増加は全国の地方都市を見ても稀有なほど。住宅不足の課題に直面するのも時間の問題でした。
そこでニセコミライでは、市街地に隣接する9haの敷地で、最大450人が暮らせる新しい街区を開発しています。この街区の名前がニセコミライ。ニセコ町は戸建住宅が多いエリアですが、今回の街区は分譲マンションや賃貸住宅などの集合住宅がメイン。住宅不足の解決に加え、環境負荷が少ないことを大前提にし、住民にとって安心・安全・快適が実現できる「持続可能なまち」を目指しています。
まちづくりといっても、ただ住宅を建てるだけではありません。町民を対象にアンケートを2回実施して暮らしの課題を浮き彫りにしたり、緑のインフラを整備したり。
先のスタッフとおばあちゃんのケースもそうです。高齢化により維持管理が大変になった農園をシェアして、手伝ったお礼に農産物を受け取ること。これって立派なシェアリングエコノミーですよね。
誰もがサービスの提供者になり、誰もがサービスに対価を払う購入者になる新しい経済の形は、暮らしの豊かさにもつながるでしょう。シェアリングエコノミーに取りかかれるのも、単なる住宅会社ではない、まちづくり会社ならではの試みです。
フライブルクの子どもが遊ぶ姿
暮らしの豊かさと口にするたび、私はドイツ南西部のフライブルク市を思い起こします。
フライブルク市は人口約20万人の小さな街ですが、世界的に名高い環境先進都市です。国内外から訪れる視察団の目的地が、南端に位置するヴォーバン地区。1990年代初頭まではNATOフランス軍駐屯地として使用されていましたが、1994年にフライブルク市が土地を買い取り、住民参加型の再開発へリスタートをきりました。
現在は38haの街区に約6000人が暮らしています。
2007年の秋ですかね。私がヴォーバン地区を初めて訪れたときにまず驚いたのが、ほとんど車を見かけないことでした。
目の前を見知らぬ子どもが横切ったときには、「危ない!」と反射的に思ったものです。ところが右を見ても、左も見ても、道路に車の姿がありません。
車がないから、お父さんやお母さんに見守られていなくても、子どもが安全に、生き生きとしながら路上で遊べるわけですよね。道路標識を見上げると、子どもたちが道路でボール遊びをする様子が描かれていました。
というのも、ヴォーバン地区のまちづくりでは、基本的に車の侵入がないように都市計画がなされているのです。
住宅街の道路は、主要道路に対してコの字型に整備されました。本来はマス目状にするのが一般的。それを通り抜け交通ができないようにすることで、路上がのびのびとすごせる遊び場に生まれ変わったのです。
さらには、約4分の3にあたる住宅街で駐車場の設置を禁止しています。駐車場がないのだから、車が住宅街をほとんど走らないのも当然。住民は住宅街の端に建設された立体駐車場に停めたり、路面電車やバスなど公共交通機関を利用したりしています。
最近では、カー・シェアリングを利用するケースも増えているそうです。車を所有せずとも、快適に移動する手段はさまざま。これってすごく合理的なまちづくりの例ですよね。
シュタットベルケのロジック
そう、ドイツはまちづくりが合理的なんですよ。とくにフライブルク市のヴォーバン地区は、言ってしまえば街全体がシェアリングエコノミーになっています。
そこで大きな役割を果たしているのが「シュタットベルケ」の存在だと思うんです。
シュタットベルケは、ドイツ語で街を意味する「Stadt」と、仕事や工場を意味する「Werke」に由来します。直訳すると「街の事業」といったところでしょうか。
自治体出資の公社として、民間企業のように経営しながら、住民生活へ寄り添うように公共サービスを提供しています。
たとえばフライブルク市では、発電所をシュタットベルケが所有しています。昔、発電所ができたばかりのころ、街灯や家電の普及により、たくさんの電気が夜間に必要とされました。逆に日中の余った電気を活用すべく、馬車の代わりに路面電車を開通させたのもシュタットベルケでした。当時は住民の電力消費が少ない昼に路面電車をバンバン走らせて、電力消費が増える夕方以降には本数を減らすなど合理的にコントロールしていたようですよ。路面電車を走らせるための土地の売買も、線路や電線の敷設も、排水管を通すのもシュタットベルケによるものでした。
こうした合理的な開発に加えて、そこで得た利益を住民に還元していくのもシュタットベルケの役割です。
土地を開発したら、その利益で集合住宅をつくります。1階には商店が入るようにし、サービスの分類ごとにその割合を調整。商店は安いテナント料でサービスを提供できるうえ、価格高騰の競争が起きにくいので、住民も適正価格で暮らせるようになります。
シュタットベルケのように半分公的な存在が街を整備することで、住民が商売をする場となり、雇用も促進されます。要は構造的にシェアが生まれるようになっているんです。
シュタットベルケで得た利益は、街中の緑のインフラ整備としても住民に還元されます。街路樹の手入れ、公園の清掃、街の巡回。こうしたサービスを提供するために、200人もの公務員を緑の整備隊として雇用しています。労働力を考えれば、けっして生産性が高いとは言えません。それでも緑があるほうが、住民の暮らしにとって喜ばしいという考え方なのです。
これが日本だと、きっと生産性ありきの議論になるでしょう。外注で解決すべきと見なされ、予算をかけられず、緑の整備は後回し。住民に寄り添ったまちづくりをしているのは、いったいどちらの考え方でしょうか。
連鎖していく「ありがとう」
私は日本に、ニセコに、シュタットベルケを導入したいと考えているわけではありません。ただ、まちづくり会社として、取り入れられるドイツの仕組みをニセコでも作っていきたいと思っています。
スタッフとおばあちゃんを例にした農園のシェアもそうですし、最近はEVカーのカーシェアリングも導入しました。
土地が広く、雪国の北海道では、車の2台持ちの家庭が多いんです。でも、あえてそれを1台にして、その代わりにEVカーをみんなでシェアしようという取り組みです。
というのも、通勤や通院、買い物のために車が必要だとしても、たいてい往復で1時間程度でしょう。1日の時間におけるたかだか24分の1。設備利用率にすると5%にも届きません。これで2台目を持つなんてもったいないではありませんか。
それなら、町内会400人で軽自動車10台をシェアしたほうが効率的です。借りるたびにレンタル代こそかかっても、購入費に加えてガソリン代、車検、タイヤ交換のお金を考えたらよほど経済的に思います。
もちろん、カー・シェアリングには、乗りたいときに乗れない不便さがあるかもしれません。
でも、それなら、住民同士で「いっしょにお買い物へ行きませんか?」と声をかけ合えばいいんですよね。住民交流が生まれる、シェアリングエコノミーから一歩進んだ形。
ニセコで目指したいのは、「ありがとう」が連鎖するような構造です。
「農園の収穫が大変だから手伝って。採れた野菜はもらっていいから」
「車で買い物に行くから、よかったら乗っていく?」
「買い物へ行くついでに、病院で降ろしてもらっていいかしら」
これらって要は、思いやりですよね。やれシェアリングエコノミーだ、シュタットベルケだというと小難しく聞こえるかもしれませんが、理想は思いやりのある街なんです。
これから先、電子化の導入が進めば、もっと簡単に情報を届けたり、受け取ったりすることができるようになります。農園のシェアやカーシェアリングは、あくまでそれに向けた第一歩にすぎません。
思いやりが連鎖していく構造ができれば、最終的には住民同士で手を取り合っていけるでしょう。そのゴールに向かって、私たちは少しずつ仕組み作りを進めているところです。
おいしいトマトをかじりながらね。
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